還暦百態物語/その7:霊厳洞

寛永20年、霊厳洞に入って「五輪書」を記し始めた宮本武蔵はこの時が60歳・還暦の齢だった。吉岡一門を潰し、佐々木小次郎を討ち果たすまでの武蔵は修羅の如く武者修行を歩んでいたが、吉岡一門の幼い世継ぎを決闘とは云え斬殺した罪悪感に苛まれる事もあり、これまでの一途な剣の道から己を解き放ってみようと考えていた。

洞窟の奥に坐り意を決した表れなのか、全てを許された開放感に浸されて思いのままに筆を動かす。還暦を経るとはこういう事なのかも知れない。修羅の道を書き進むに連れて己が一生をかけてめざしてきた剣の道の先にある光明が見えてきた。それはこれまで辿って来た道を外すことによる価値のパラダイム転換だった。
高みを求めて道を進めばいつか頂きに到達する。しかし人生はそれで終わる訳ではない。命ある限りその先々が展開するのだ。その先をどう生きるかが実はその人間の真価を表わす生き様と言えるだろう。勝負に勝つことは時の運であり、本当の強さというものは戦いに勝った後にこそ発揮されるという達観を武蔵はようやく得ることが出来た。

 武蔵の記憶の中で関わりのある人たちの多くは既にこの世を去っていた。又八とお婆そしてお通も今となっては夢まぼろしの如くだった。養子の伊織と共だった生活を始めてからは、その後一切消息は知れず今生の別れとなったようだ。
あれだけの人生の情熱をかけて修行し取り組んできた剣の道も、縁あって絡み合ってきた人々とも、時が経てば色褪せて記憶の彼方に消えてゆくものだとは、諸行無常の念をより強めた結果がこれまでの人生だったのだろうか。いつしか気がつけば仏を前にしてひとり問答をする己がいた。無心に仏像を彫る日々の中にあっても同時にその胸中には本来の何かを求める気持ちが蠢いてもいた。多くの血を流し、また時には人を苦しめ悲しめた行状を単なる修行であったと終わらせず、武芸の視点から検証した自分史として書き記したい気持ちが筆を執らせたといって良いだろう。「地之巻」に始まり「空之巻」に至る全五巻をまとめて『五輪書』と命名することにした。
 そんなある日、誰に聞いたのか霊厳洞に武蔵を訪ねて一人の剣客が現われた。名を柳生但馬宗矩という。これまで直接に会うことは無かったが、かつて武蔵が徳川に仕官しようとした際に受け入れぬよう家光に進言したのが宗矩であった。そんな委細は知らない武蔵だが宗矩の名声と腕前は世間の評判で聞いていたものの、甥の柳生兵庫助利厳とは酒を酌み交わした中でもあり『新陰流』の極意は甥が受け継いでいる事実も知っていた。
宗矩は初対面の武蔵に対して礼を尽くし、かつて異形の剣豪であった武蔵を受け入れる事の出来なかった自己の浅慮を懺悔した。そして武蔵という異なった人間の武芸に対する心内を知りたいという思いが断ち切れず、ここまで足を運んだことを告白した。
己よりも一歳年上のそれも既に隠居とはいえかつて将軍・家光の指南役として徳川の大名にもなった宗矩から武道の心を問われることになろうとは、もはやこの世のすべてに遺恨も未練も無くなった武蔵には剣の道も等しく流れて移り変わってゆくものであると伝えるのみであった。
還暦が人生の終着点ではない。還暦を経た武蔵の意識とは関係なく、『五輪書』を記し終えた武蔵は宇宙の真理が己を孤高の境地へと導くかの様に別の視点から新しい次元を表わす『独行道』の執筆に取り掛かったのである。
熊本千葉城の自宅にて64歳の寿命を全うするまで、武術と芸術の道を歩んだ人生であった。
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