還暦百態物語/その4:あさま山荘

 あれから何年が過ぎた事だろう、世に言う「あさま山荘事件」は私にとって単なる昭和史の一頁などではなかった。青春の一時期を機動隊員として生きてきた私の人生はあの時からひとつの方向に決定づけられたように思う。

 学生運動がピークに達していた時代に私は警視庁機動隊の一員として同世代の彼らと対峙していた。東大安田講堂の籠城戦、三里塚での成田闘争、その都度命がけの緊張感に晒されていたがそれは時には無我の境地に至って心地良く、自分が歴史の変革の一頁に記されている様なヒロイズムに浸れる刹那もあった。
 死線をさまようという言葉があるが、生きるか死ぬかの最前線に置かれると人は生死の境い目が分からなくなるらしい。他の生きものには無いのだろうが、命の感覚が麻痺してしまうらしく生存の執着から離れ去ってしまう事がある。
 あさま山荘の事件現場では機動隊員一人一人が人質事件とは全く別のそれぞれ個人的な問題と直面していた。私の周辺にはまだ結婚したばかりの者や出産を間近に控えた者もいた。特別手当の額よりも積雪の長野の寒さが身に応えていて、早く事件を解決して家に帰らせて欲しいと願っている者ばかりなのが本当のところだった。

 しかしあの時代の公安というのは今以上に密室的で複雑な形態をしていて、現場で起きている事件を処理するためには公安内部や対県警組織との衝突を懐柔する事がまず第一義だった。マスコミに覚られてはいけない事情が絡んでいて隠密裏に進められた行動は事件が解決した後も一切封じられてきたが、その現場に放り込まれていた自分たちにとっては“命を投げ出してまで取り組む価値があるのか”という職業観を左右させる大きな問題だった。
 人質を抱えた籠城事件の度に警察組織は内部分裂を起こして解決に右往左往する。「あさま山荘事件」でも例外でなく、“人命救出第一”の至上命令の元で中央の公安と地方の県警が互いの威信を賭けて判断を譲らない場面があった。人質の命よりも我が身の命よりも、この場に及んで組織の体裁を守る事に汲々としている国家権力に対して落胆してしまったといった方が良いだろう。
 そしてその落胆は自分の人生に影を落として生き方まで変えてしまったようだ。退職した数年後に某任侠団体の経営する警備会社にスカウトされて企業舎弟の相談役になろうとは考えてもみなかったが、その裏社会にこそ社会の受け皿、正義とまでは言わなくとも誠を貫く生き方があろうとは思わなかった。

若い頃から意に反して、否もしかしたら心のどこかで求めてか数多くの修羅場をくぐり抜けて来た私だが、そんな生き方も還暦の声を聞いた頃から萎えてきたようだった。
時には文字通りの暴力を行使して強引な駆け引きも辞さない半生だったが、そんなところに心癒されるものは何も見つからず、半分呆けかかったような平坦な日々の流れの中に過去のフラッシュバックされる走馬燈を眺めている。

<了>

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